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「主治医の宣告」

主治医の宣告は4月から6月の危篤状態の時と何度も宣告されているせいか
半ばもう麻痺していてあまり驚くこともなくなっていた。
腹水が発生して検査後、見る見る西瓜でもお腹に入っているみたいに膨らんだ。足もむくみでパンパン。

先生いわく「このまま尿量が減るとだんだん意識がうすれ眠るように逝ってしまうかもしれません」だって。

そんなことは、もうわかっている。長く生きられないことも…。それでも先生の立場上、何度も宣告しなくてはいけないいんだろうな。
聞くたびに「死なないもん」と頭の中で否定する。頭の中で認めたら終わりだ。

だってまだご飯も少しだけど食べるし。

なぜか手の震えが出て、箸が持てない。食べさせてあげるよとご飯、おかず、味噌汁は食べさせてあげた。
でも、たぶん母にとってはそれは屈辱だったのだろう。デザートに出たオレンジを震える手を押さえつけて
ムギュっとつかんで口に持っていって食べた。
「すごい」「なんてすごいんだ、まだ病気に負けていない」このポジテイブな心意気がまた奇跡を起こすかもしれない。
先生の宣告なんて信じないもんねー(今までだって覆してきたんだから)

末期がんというのに何の痛みも出ず、意識もはっきりしている。ただ尿量が減っただけ。
普通これだけの腹水なら痛くて当然のはず。その辺は主治医も不思議がっていた。
手の震えが気になったので看護婦さんに聞いたんだけど、先生も検査もしてくれない。
もしかして脳梗塞があるんじゃないかと聞いたのだけど。
末期ガン患者にはもうそういう検査もしてくれないのかと不信感がわいた。

「アガリクス」と「正官庄」はまだ飲んでいた。「アガリクス」粒のままでは飲めなくなったのでお茶でとかして
飲ませた。ガンに効くという水も飲ませていた。西瓜のジュースも。

弟は「アガリクス」を買った当初からお茶に溶かして飲ませておけばとくやんでいた。
でも、それは仕方がない。なにせ本人がガンだって知らないし、無理強いしたら怪しまれるし…。

このころ、私は眠れない状態が続いていた。寝てるんだか寝てないんだかっていう脳波の感じ。
いつもだるいし食べられないし。
弟は食べなきゃ持たないといって一生懸命食べてた。
父はお酒の量が増えた。それでもよく眠れないらしい。

この時期は精神的に父が一番参っていたと思う。だから、私も無理して明るくするよう努めて自分の心の弱さを
隠し、しっかりした長女を演じていたのだろう。
薬を飲むのすら思い出せなかった。もう心はボロボロだったはずなのに。
ボロボロの心に鞭打ってがんばると、落ち着いた頃にくるのかな、鬱が…。