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「早朝のベル」

2004.6.16 早朝4時。電話が鳴る。何事。いたずら、それとも間違い。
なんとか電話に出る。
弟からだった「かあちゃんの様子が急変した。今から病院へ行くから、お姉ちゃんも来て」
頭の中が真っ白になりながらも返事をして電話を切った。

だんなが一番の新幹線でとにかく行って来いというので、急いで仕度をする。何をつめたか何をつめれば良いのか
解らないが娘の着替えだけを適当に詰めた。
とにかく落ち着けと言われたがどう落ち着けばいいのか…。
東京駅まで車で送ってもらい、切符も買ってもらいとにかく新幹線に乗った。

実はこの日、会社が最後の日で若干の仕事が残っていた。上司に電話するとそんなもんどうだって出来るから
あとで考えろ。行って来いというありがたいお言葉だった(なんでこの人ともめちゃったんだろうとその時ふと思った)

はやてだったのであっという間に仙台に付きタクシーで病院へ。
その間、保育園やら得意先に電話を入れる私。意外と冷静。

病院では今か今かと叔母がエレベーターの前で待っていてくれた。
「大丈夫だから、落ち着いたから」と抱きしめてくれて荷物を持ってくれた。

廊下にもうちの関係者がいっぱいでみんな大丈夫だからと声をかけてくれる中、病室に入った。
特別室(ここしか個室がなかったらしい)のベッドで酸素マスク、点滴をつけられ眠る母、とても病状が落ち着いている
とは思えなかった。
「お母さん」と呼んで手を握っても握り返してくれない。
もう心臓が止まりそうだった。

私の身体が弱いことを知っているみんながとにかく座れとソファアに座らせてくれた。

この前、会ったばかりだよ、元気だったよというと「風邪ぎみなのに無理して帰ってきたようだ」とのこと。
そんなことも気付かなかった自分を責めた。
先生の話では今夜が峠でしょうだって。何、それ。わからない。

と呆然とする私にしっかりしてと父方の叔母に渇を入れられた。
我に返ったわたしを待合室に呼び、誰か現実を見ないとということを言われた。

そりゃそうだ、私がやらなければ。
叔母がいうには、みんなでここにいてもしょうがないから、もしもの時のことを考えよう。
葬式する時どうする、家でやるか会館にするのかということだった。
我が家の散らかりっぷりは母が入院してから拍車がかかっていたので
家でやるのは無理。今日明日のことならなおさら無理。
でも、茶の間と台所だけはなんとかしなきゃいけないから片付けを頼んだ。
本当に汚くなったいるよと言ったらそんなこと気にするなと言われて、父方親族は我が家へお片づけに向かった。
病室には母方の親族が残った。
父と叔父にもしもの時は会館でやることにして、家は今片付けてもらうようにしたからと伝えた。
そのあと、だんなに電話して来てくれるように頼んだ。