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「過労だと思ってた」

今、2004年12月です。現在、軽度のうつ病の治療をしている。
なぜ、自分が「うつ」になってしまったのか、いつからそうだったのか、さかのぼって考えていることで
自分の内面と向き合えるかもと書いてみようと思った。症状の波があるので毎日は綴れないと思うが
つれづれなるままに書きつづけて行きたいと思っている。

最初の兆候はここから始まったように思う。(後にわかるがそれは間違いだった、心の闇は根が深い)
今年の3月に会社で倒れた。すぐ病院に運ばれた。いろいろ検査されたが別に悪いところもなく「過労」でしょうということで帰された。
その後、「帯状疱疹」にかかりダウン。やっぱり過労なのかなーと当時は思った。
たしかに当時の私は派遣社員とは思えないほどの仕事量と責任を背負っていたように思う。
もっと誰かに相談すればよかったんだろが、持って生まれた性格、負けず嫌いが災いした。

その前後に会社の人事異動があり、1年大事に育てた子が今年から使えると思っていたら
突然別部署に異動。まあ、それは大きな会社では良くあること。理性ではわかっていた。
でも、突然なんの相談もなくというのが許せなかった。昨年、この子を預かった時は、「システムの責任者にしたい
から育ててくれ」と依頼さえたのだから、一言あってもいいだろうに…。
ここで、大人気なくもブチ切れて「会社をやめることになってしまった。引継ぎ期間2ヶ月…。なんとかなるだろう」
本当はずっと頑張りたかった会社なんだけど会社の方針とは絶対今後もぶつかってしまう。それじゃ、同じ繰り返し
になってしまうもんね。(今、思えばこのときの状況ってパニック症状っていうのかもしれませんね)

こんなところから身体の不調が始まった。「帯状疱疹」の予後もよくなく、筋肉のこわばり、痛み、不眠、イライラ、
かかりつけの内科の先生にずっと治療してもらっていた。一向に改善しないので、「女性外来」に行ってみようかと
いうことになり紹介状をもらった。でも、まだ「女性外来」の数が少ないので2ヶ月待ち。その間は内科の治療を
続けていた。女性外来の診察は5月…長いなー。

診察を待っている間に、すごいショックが発生。「母が末期がんで、余命3ヶ月」という宣告をうけた。
目の前が真っ暗になるというのは、ああいうことを言うんだろ。ひとしきり泣いてから、なぜかしゃんとした。
「何か治療方法はないか」インターネット、本、調べることで自分を保っていたのだと思う。
遠くに嫁いできたので、看病も出来ない。こんなとこでも葛藤があって…。
私はどうしたら良いのだろう…このあたりから、精神安定剤(グペリース)を飲み始めた。