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「母の納骨式が終わりました」

2005.6.13月曜日母の納骨をしました。

お墓って2、3日でできてしまうものなのですねー。驚きました。最近のお墓の使い勝手のいいこと。
引出しがついていていろいろしまっておけるんですよ。最近、カラスがいたずらするのでお茶碗やコップ、
お皿などもしまっておくそうです。

納骨の前日にお墓の掃除をしてへぇーとトレビア状態でした。この辺までは結構しゃんとして翌日の準備に
いそしんでいました。

が、当日。
やはりお寺での読経と焼香。お墓でお骨を納め、いっしょに赤ちゃんの時逝ってしまった妹もおさめ、また読経と焼香。
一応、儀礼どおりにはこなしているんだけど、心はどこかへいってるようでした。
母の誕生日前だったので、いい誕生日プレゼントもらったねとは言ったもののどうしても実感がわかない。

まだ、どこか遠くの病院にでも行っているような気がしてなりません。
こんなに認められないなんて不思議です。ゆうれいでもいいから会って話がしたい。
夕べそんなドラマをみてボロボロ泣いてしまいました。

来月は一ヶ月法要、8月は初盆と行事が続きますが、こうやってこなしていくうちに認知する日がくるのでしょうね。

去年の今ごろは一時退院で自宅に着て、翌日急に昏睡状態に陥り生死の境をさまよった末、
戻ってきてくれました。あのあと、いちど元気になって歩けるまでになったのになーなんて思い出すと
今も涙がとまりません。あの時は泣く事すら出来ずにいたのに。
母に癌だと知られたくなくてお見舞いのお客様も最低限にしたけど、今思えば告知して会いたい人、みんなに
会わせてあげればよかったのかなーと後悔も残ります。末期がんでなければそうしたかもしれないけど
どうしても生きる希望を持ち続けてほしかった。今思うと生きてるもののエゴだったかなと感じることも…。

亡くなった日のことも記憶にとどめるためにも書き残したいのですが、どうしても書こうとするとパニックをおこして
指が止まってしまいます。

まだ鬱のひどい日もあるし、パニック症状をおこすこともあります。
だんだんあの日が近づくにつれ、また症状がでてきたみたいです。

やはり母は私にとって母であり友人であり偉大なひとでした。母のように生きることなどとうていできないけど
あのおおらかさや包容力は娘に伝えられたらいいのにと思います。

私の娘の不幸は過敏な幼少期に精神状態に波のある母親といることでしょう。
なるべく娘の前では平常心を保っていますが、とても苦しいときがあります。
一番愛しい存在なのに一番邪険にしてしまいそうな時、私は自分の中で母親を放棄したくなることさえ
あります。なんでもっとおおらかになれないんだろう。抱きしめてげることがそんなに難しいことなんだろうかと
自分に問い掛けては自己嫌悪の連続です。

早く母のことをやさしい思い出に変える事ができたなら…。