なんで同じことをしているのに私は怒られないの?
コミュニケーションセラピスト、家族支援カウンセラーの小瀧弘美です。
この頃の娘ちゃん
小学校3年生になり、またもや担任は男の先生。あらら~と思ったけど、とりあえずご機嫌よく学校へ行っている。
身体はあまり丈夫ではないのは相変わらずで、たまにお休みするけど、これはまあよしとしよう。
このころは、休んでも一人でいてくれることもあるし、さほど娘の欠席に神経をとがらせることもなかった。
小学校2年生から始めたフットベースボール。体力作りを兼ねてチームに放り込んだのだけど、少し体力もついて
きたなーと思ったら、TDLに遊びに行った時に骨折して、半年ほど手は使えない状態で3年生の春を迎える。
骨折は重症で、手術で繋いだこともあり、右手でのボールキャッチは半年止められて、その間、下半身の強化と
左手でのキャッチの練習に励んでいた。今、思えば、ここのも生真面目な性格が出ているなーと思う。負けず嫌い
もあるんだろうけど。
フットベースボールは女子のチームで、保育園からの仲間がほとんどだったので、マイペースさは仲間内では
昔からだからと認知されていて、みんなが受け入れてくれていた。でも、つるむことはあまりなく、これも
昔かららしい、子どもらに聞くと。
1、2年生の頃、女子のいじめを目撃し、女の子どおしはめんどうくさいと思ったのかどうかは、定かでは
ないのですが、このあたりの時期は男の子の友達が多かったように思います。話の中で出てくる名前は男子ばかり。
ゲームを一緒にしている、ということでゲーム繋がりだったのかも。女子の友達がいないわけでもないけれど、
あまり女子特有のべったりした付き合いは好んでいないようだった。
先生のこと
新しい担任の先生は、体育会系の熱血教師。保護者の評判は上々。特に、元気が余っている男子のママたちは
このくらいで丁度いいと人気が高かった。
娘ちゃんも最初は、面白いよ、先生。と言っていたんだけど。
先生ともうまくコミュニケーションがとれていたし、そこそこ勉強もできたし、絵もうまくて
展覧会の絵に選ばれたー、先生と残って仕上げてきたよーとか、良好な関係だと思っていたんだよね。
ただね、元気が余っている男子には、時には力技も出ていたようで。良い悪いは別として。
やられてる子のママがうちの息子にはそれくらいで丁度いいからーって笑い飛ばしてたのでね、私も何も言わなかったけど。
3年生の時も、お休みすることはたびたびあったのですけど、風邪だったり喘息だったり。病理が原因だと
思っていました。今、思えばストレスで具合が悪くなったこともあったような気がします。
4年生になって、先生に対する文句を言う日が増えてきていたけど、そういう年頃なんだろうなって
あまり気にもとめていませんでした。
宿題をやってこない、忘れ物をするというのが、一際目立つ男子がいて、その子に先生が蹴りを入れるのを
目撃したんだって。(これも、良い悪いは置いておきますよ)
娘曰く、いつもその子だけにする。同じような女子には、そんなこと、しないのに、なぜ?って思うと言ってきたのです。
私は「そうなんだー、なんでだろうねー」と流していたように思います。だって、そういうの、昔からあるしね~。
そこで、1年生の頃の出来事を思い出せなかったのよね、私。今、思うとここが、動くタイミングだったんだろうけど。
その後も、たびたび、そういう話を聞いたんだけど。忘れ物しないようになればいいのにねーとか、宿題してくれば
いいのにねーとか私は言っていたんだろうなと思います。
娘ちゃんは、今回はママに頼れないと思ったんでしょうねー。
娘の実力行使
うちの娘ちゃんは、真面目で忘れ物もしないし、宿題もきっちり。先生からみれば手のかからない子だったと思います。
ところが、ある日から
忘れ物をする、宿題をしてこない、が始まりました。
そして、毎日、「なんで、同じことしてるのに、私は怒られないの?」と思っていたらしい。
もちろん、私は気づいていません。先生も、たまたまだろうと
思っていたのか連絡くれなかったし。
この間も、娘から、〇〇くん、また蹴られたとか、叩かれたとかの報告がありました。(良い悪いは置いておきますよ、とりあえず)
大丈夫かしら?とは思っていたんですが。
娘の忘れ物は「ワザと」だったのです。その子と同じくらい忘れ物したら、私のことも蹴るかしらって。
蹴られたかったわけでなく、私が蹴られたら「ママが怒ってくれるだろう」的な(笑)
先生は娘に手を上げることはなく。娘は不公平だ、同じく私も悪いのに、と不信感を募らせていったみたい。
この正義感、使い方の方向が違うっと思うけど、娘には娘の正義だったのでしょうね。
制裁。
良い悪いはここでは問いませんよ…。
10日ほど、続いたんでしょうか。とうとう先生も我慢の限界にきたんでしょうね。
その日の忘れ物をした子たち、5人。机ごと廊下に出されたそうです。
これは娘にとっての屈辱だったらしく。(←不公平って思ってたんじゃないの?ですけど)
この先生の制裁は心の底から憎んだようです。
廊下に出されている時、校長先生が通って、「みんな、校長室においで」って言われたけど
もっと何かされると思って子どもたちは行かなかったんだって。
プライドの高い娘は、他のクラスの人にみられたりしたのが、辛かったんでしょう。
その日を境に学校を休みました。1ケ月ほど。
学校へ行かない間
ここで、娘の頑固さが発揮されました。しかも、身体も娘の味方をして(笑)
毎朝、熱が出るんですよね。確実に。
今ならわかるんですけど、ストレスで自律神経が不調になっていたんでしょうって。
お腹も痛くなるし、吐き気も。完璧ストレス。まあ、小学生だし、しばらく休めばいいよと
休ませました。
ただ、このままというわけにもいかないのでね。
まずは、担任の先生と話しました。
これがね、やっぱり相性ってあるわ。当時の私はまだまだ駄目ママだったから
もう話してるとイライラしちゃって。
先生のそんなことはしてない、そんなつもりじゃなかった、学校に来させてください
ばかりの担任にブチ切れ寸前。こいつ駄目だわ、と心の中でつぶやき帰宅。
翌日、校長先生をアポなし訪問。(逃がさないわよっ的な)
さすが校長先生。百戦練磨なのでしょう。ゆっくりお話しを聞いてくださいました。
担任にも悪いところはありました。机の制裁については厳重注意してあります。
私もあのとき、こどもたちにきちんと話を聞けばよかった、と。
娘ちゃんには、私から話しましょうか?と言ってくださり、登校は無理強いせず
様子をみましょうと言ってくださり、私も、心が落ち着いたのです。
三者面談になってしまった
そうして帰ろうかと思ったら、担任も呼んで、話ましょうと校長先生言い出して。
えーって思ったけど、断れず。校長、担任、私の3者面談。
案の定、校長先生の前では、いい先生。僕にも落ち度はあったと思いますって。
昨日のあーでもないこーでもないは出ず。なによーって思いながら聞く私。
学校という組織の中では、やはり評価というものが存在するんでしょう。評価する側の
校長先生には逆らわないし、良く思われたい。それは、いずこの組織も同じですものね。
仕方ないんですけど、これでは、改善には道が遠いな、と思ったように記憶しています。
校長先生としばしばお話しに通う
娘ちゃんは一向に学校へ足が向かず、勉強も手が付かず。
さすがに、2週間目になると私も不安になり、校長先生に相談に通いました。
校長先生は、ゆっくり話を聞いてくださり、娘の心配もしてくれて。
とにかく、お母さんは普通にしていていいですよ、と。(この頃は、普通になんてできなかったけど)
当時は、スクールカウンセラーはいなかったんでしょうね。校長先生がその役を担っていたんでしょう。
ただ、お話しを聞いてもらうだけで、解決策は見つからなかったように思うんだよね。
校長先生は、娘と話をしてもいいんだけど、
子どもって呼び出すのが大変なのよ。特別扱いすると回りの子がずるいって思うのよね。校長室に
呼んだらそれこそ噂になっちゃうし。廊下で声をかけても、ずるいって思うんですよね。
ってことを教えてくれて。それでも、学校に復帰してしばらくは、娘が一人の時を見計らって声を
かけてくれたようです。
※何年かたって、娘が、校長先生が話掛けてくるの、うざかったなーって言ったのを聞いて
先生って大変過ぎるっ、と申し訳ない気持ちになりました。
お休み中の娘ちゃん
この頃の娘ちゃんは「学校に行かない=いけないこと」という考え方がまだありました、たぶん。
お布団から出てこないことも多かったしね。外にもいきませんでした。
ただ、責任感が強かったので土日のフットベースの練習や試合には参加していました。フットベースの
仲間たちは学校を休んでいることをとがめることもせず、受け入れてくれていました。普通に笑い、話、
走り、ボールを蹴る、生き生きとやっていましたね。これは、ありがたいなーと思っていました。
私、損しているよね?
そんなこんなで1ケ月ほど学校へ行かなかった娘ちゃん。
「私、損しているよね?」
というと、
「明日から、学校行くね」と。
翌日から何事もなかったかのように学校へ行き始めました。
私、悪い事してないのに、勉強しなくて損してるって思ったみたいで(笑)
私は、娘が登校してから、担任と校長先生に連絡を入れました。
こんなことがあり、学校へ行きましたからって。
※子どもって不思議だなーって当時は思いました。振り回されてストレスもMAXでしたが。
この時はあまり思っていなかったけど、不登校の時に、学校とどう関われるかというのは
とても大切だと思います。
今、私のところに見える方で「学校は敵」みたいに思っている方もたまにいます。私は
学校は敵ではなく、味方でもないかもしれないけど、協力する相手ではあるんだよ、と話ています。
最近の学校は、不登校に対する理解もしてくれるようになってきています。まずは、向き合って
話すことから始めてほしいなと思っています。
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