不登校は問題行動ではありません
こんにちは。コミュニケーションセラピスト、家族支援カウンセラーの小瀧弘美です。
不登校に悩む人に向けてのカウンセリングをしていると、学校へ行かないことに罪悪感を持つ人が多いことに驚きます。「学校に行けないなんて…」と涙するお母さんを何人も見てきました。そのたびに、こんな思いを抱えている人が日本にはどのくらいいるのかしら、と胸が痛くなります。
そもそも学校に行けないってそんなに悩むことではないはずなんです。日本の教育システムが海外のように多様性があったなら、学校へ行くことも選択肢の一つに過ぎないのですから。
日本では、毎年増え続ける不登校の数。もともと潜在的な数はあったわけで、最近ようやく報告数が増えてきたから、数が増えたように見えるのかとも思いますが、とにかく不登校の数は増え続けています。
そしてこの日本の不登校の状況は、国連からも危惧されています。
「創造性よりも協調性がはるかに求められる」
↑ 確かに思春期の子どもたちはみんなに遅れることの無いように必死だと感じます。
日本の教育はこんな風にみられています。
「高度に競争的な教育制度のストレスにさらされていること及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることに付いて、条約の原則及び規定に照らし、懸念する。更に登校拒否の事例がかなりの数にのぼることを懸念する。」
と、日本政府は国連から勧告されています。
日本もこれではいけないと思ったのかようやく重い腰を上げました。
2017年2月施行された「教育機会確保法」を知っていますか?
この法律を見てみると
- 不登校は問題ではない
- ゆっくり休むことの必要性
- 個々の状況に応じた必要な支援
といったことが盛り込まれています。
それでも、まだ、不登校は問題視されています。
学校を休むことは問題ではないのです。不登校という現実を問題視してしまう、学校神話に縛られている大人の問題ではないでしょうか。
学校神話、この呪縛に囚われている人はたくさんいます。
学校、先生、保護者、子どもたちも。
今まで「学校は行かなければいけないところ」と思ってきていますから、これを切替えるのは時間が掛かるかもしれません。
「学校に行けないと、将来ろくな人間にならない」なんて言う人は珍しくありません。
これも仕方がないことではあります。
日本人はこう思うのは、学校へ行けない時の受け皿の整備が出来ていないからでしょう。
世界には、ホームスクーリング、サドベリースクール、シュタイナー教育、イエナプラン、レッジョエミリオなど、多様な学びがあります。学校に行けなくても、個性にあった教育を選択することができます。
日本では、みんなと同じように出来ない、一人だけ変わった才能があるとクラス内で浮いてしまい、学校に行きにくくなり不登校になってしまうことも少なくありません。
せっかく素晴らしい個性を持って生まれてきたのに、個性を発揮出来ず埋もれてしまう。こんな現状がもったいないと思います。今、不登校になっている子たちは、可能性を秘めたダイヤモンドではないでしょうか。
学校に子どもが合わせるのではなく、子どもに合わせる教育が必要です。
多様性を認めあえる場所、これが今、必要な教育環境だと思います。
豊かで繊細な感受性を持っているからこそ、学校へ馴染めなくて行けなくなってしまうのです。この子たちを埋もれさせているのが日本の教育現場です。もったいないことですし、何も手を差し伸べられないのは大人として恥ずかしいことです。
普通に学校へ行くことを止めて、違う道を進むのは楽な道ではありません。違う道を進むことを選んだら相当の覚悟も必要。今は、違うことを選んだら公的な応援はありません。
例えば、サポート校へ進学したら、サポート校への援助はありません、学費は保護者が丸抱え。学校にも寄りますが年間100万円くらいかかることもざらです。(サポート校は通信制高校と連携しているところがほとんどですので通信制高校の分は国からの補助があります。ただ、これも全日制高校へ通うような実質無料になるような補助ではありません。1単位いくら、という補助になるので通信制高校の学費全額は賄えないように思います)
子どもの特性にあった学べる環境を国が用意してくれたら、と感じます。金額で公平にするのではなく、学ぶ機会を公平に与えてほしいなと思います。
全ての子どもが自分のやりたいこと、学びたいことを選べる教育システムがあったら、不登校やいじめで悩む子どもは減っていくでしょうし、子どもの自殺率も減少するのではないかと思います。